196×〜197×
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大分県宇佐郡安心院町大字大見尾1209番地に生まれる
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父二生母末乃の4男として18歳まで自然に囲まれて育つ
保育園は家から4km先にあり、路線バスに乗り通うが、小学校でバスに乗れないので毎日家を7時に出て往復8kmの登下校の6年間を過ごします。 佐田小学校(1クラス31名)を卒業して、町の中心にある安心院中学に進みます。 |
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中学ではバレーボール部に入るが通称マンチの誘いに乗り、可愛い子が沢山いるテニス部に移籍する。ところが、イジメル先輩がいて早々にバレー部に戻る。 |
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新人県体への出場を目指し日々鍛錬するも、競合深見中に破れ断念。ここで、救世主が現れる。当時大分県で一番のエースアタッカーが転校してきて、本番の県体には楽々出場する。と、言っても、4チームしかない田舎の大会での話しですがね。 |
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この時代に初めてお付き合いした方が今のカミさんです。 |
197×〜198×
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大分県立安心院高校に入学
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バレーボール部に入部してスポーツと勉学との両立を図るも、当時流行していた”インベーダーゲームに嵌り、夏に退部。入部当時からお世話になっていた織田先輩には今でも申し訳なく思っている次第です。 |
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入学当時は田舎でもあり偏差値がなく、大学は早稲田にしようと、大きな勘違いをしており徐々に自分の実力をしり初めて、志望をどんどん落としながら高校生活を送る。 |
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3年間担任であられた吉元先生に、おまえは教師に向いているから教育関係にいきなさいと言われて十分その気になって3年。いざ、共通一次試験(現在のセンター試験)を受けたが惨憺たる結果。自己採点で580点ぐらいだったしょうか!ほとんどの大学には受からない数字に愕然としました。 |
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共通一次はまだ開始されて3年目で、田舎の高校ですからテストの前日から大分市内のビジネストテルに前泊して貸しきりバスで試験会場に行った記憶があります。 |
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試験が1月15日16日あたりでして、自己採点の結果から恩師吉元先生から早くも予備校(福岡の全寮の西日本予備校で、ここには奇しくも同級生で2年間も通った剛さんがいました)のパンフレットを頂き、もう浪人生の生活だと覚悟しておりました。
そんな時期、小学校からの旧友の省二君から九州工業大学に推薦入学があるよ、締め切りが31日だけどと言われ、たしか その日が28日ぐらいでしたが、大至急、恩師に内申書を書いて頂き速達で、推薦入学の願書を出しました。
推薦試験は2月中旬にありましたが、たしか 英語、数2b、作文と面接だったと思いますが、テストはあまり出来ていないと思いますね、数2bは5問あって2問は出来たが、あとは適当に枠を埋めたように思います。
作文は目一杯に入学した場合とその後に学生生活の思いや将来に関して恥ずかしいぐらいの優等生ぶりを書いて受かるようにお願いした文書で締めたと思います。面接は、小学校から児童会や生徒会の会長や学級委員を毎年勤めていた事や部活ではキャプテンだっと言う事で非常に評価がたかかったと思います。
問題は、理系の大学なんだけど、高校時に補習を嫌って文系にしてしまい数3、物理2、化学2を受けていない事だんだんです。
運よく、推薦入学に受かりまして自分もびっくり、周囲もびっくりでした。しかし、恩師吉元先生からは8年は大学にいくようになるなと、また隣のクラスの国語の先生からは卒業は無理と断言されて、必ず4年で卒業してみせると見栄を切った記憶があります。
先生から4月までに勉強しなさいと 何冊もの教科書を頂き感謝しております。しかし、ほとんど開けずじまいでした。 |
198×〜199×
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国立 九州工業大学 環境工学科に入学
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福岡県北九州市戸畑区中原の改築アパートの2階奥に一人住まいを開始。両親が貧乏の割りに末っ子の自分には贅沢をさせてくれてセミダブルのベットに箪笥や冷蔵庫など新品を買ってくれました、親の暖かさを当時は全く判ってなかったですね。 |
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4月、5月とほとんど毎日大学に通いながら、入学時に知り合った柏原君の誘いで、ボート部に入部して部活もするような学生生活を始めました。朝から夕方まできっちり講義を受けて夕方から部活。ランニングや筋トレ。この時なにか?自分の思い描いていた学生生活と違うと気がつきはじめましたね。
大学って、自由奔放!ギャンブルや合コンをやり、夜は酒とマージャンと女。ばら色の生活を過ごせるものだと、片田舎で思い描いていたんですで、今思えばなんと、浅はかな考えだったんでしょう。
クラスですこし悪そぶる(悪でもなく優等生でもないが目立つ)連中と遊ぶようになり、こころのタガが緩み始めました。まずはパチンコに嵌り、新台入れ替えでは2時間でも3時間でも行列にならんで、夜は麻雀。夏ごろには奨学金がおりて羽振りが良くなり、酒を飲む回数も増加。合コンも初めて、これぞ大学生の生活(酒池肉林)だと勘違い。
夜はバブで働き、昼過ぎに起きる生活が長く続き、大学には体育の授業しかでない生活が続く。
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2年間で6単位しか取れない状況で、放校除籍になるのを免れるために休学を申請して生き延びるも、3年間で30単位が取れずに放校除籍。
永田さん、富田さん、野田、永嶺、前野お世話になりました。
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失意の中、博多に友人(ブラックヒサツネ)を訪ね職を探す。結婚式場の人材派遣会社で3年間働く。結婚式の進行係をやるなかで、当初は結婚式に感動していたが、徐々に慣れてしまい式の感動が薄くなってしまったのが残念。今でも式に出席すると裏方に目が行ってしまい、純粋に感動を覚えない。
増山さん、八谷さん、山本さんお世話になりました。
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199×〜199×
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今で言う、フリーターの生活を3年ぐらい経験して先々に不安を覚え、正社員になりなくなり ダイエーの子会社 キャプテンクック ディッパーダン事業部に入社。アイスクリームの会社だが、100円ハンバーガーの新規事業で当時よく売れていたトポスの店で働きはじめました。
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3年ぐらい勤務するもあまりに給料が安く休みが少ない(月給12〜13万、月に3〜4回の休日)ので退社してネットワーク販売(アムウエイ)を始める。
1年間活動してSPにはなるのだけど、収入より出費が多く苦しい生活。
出雲さん、チカちゃんお世話になりました。
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兄の紹介で遠縁の清掃会社で働く事になり広島に転居。1年間働いてみたが、どうも先が見えない状況で、再度就職を決意。
新田のおばさん、中尾郁次郎さん、バーバー中尾ご夫妻、お世話になりました。
数社面接に行き、昭電に入社が決まる。
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当時の広島の所長(菅ちゃん)先輩(亀ちゃん)にはお世話になりました。入社早々、夜間作業に入り、天井からアクリルが落ちてきて頭を5針縫う怪我を負う始末。1週間頭にネットを被り出勤した苦い恥ずかしい思い。
また、すぐに 所長がギックリ腰で急に呼び出され 山陰の山奥に1週間介護役として同行。この時 初めてスキーをしました、それも ビートたけしが着るような作業着を着ての滑走に 恥ずかしい思い。
また、入社2ヶ月で岡山に一人で半年間の出張を命じられ、孤独な半年間の生活が始まる。この時期に従事したのが 今のau(当時セルラー)の電波基地局の工事。 |
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岡山勤務も終わり、広島に帰り勤務していましたが、東京から副社長がきた宴席でハゲと言ってしまい、出世がなくなりました。それで毛ではないでしょうが。
大成さん、西林さん、新谷さん、それに澤井さん、お世話になりました。
2年間広島で勤務して大阪に転勤。
当時の課長窪中さんにはお世話になりました。
白鞘先輩お世話になりました。
大阪で1年間勤務して、ダイエーの子会社 キャプテンクック ディッパーダン事業部の元上司より、誘われて ピザの会社 トロナジャパンに入社。
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199×〜200×
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宅配ピザチェーンのシカゴピザファクトリーに勤務して10年。
井原社長お世話になりました。
中野取締役には大変お世話になりました。
長谷川社長ご指導ありがとうございました。
目出たく双子に恵まれて楽しい家庭生活を送るも、将来を見据えて退社を決意。
壺子さん、南川さん、安部ちゃんお世話になりました。
黒沢さん、西坂さん、岩崎さん、大橋さんお世話になりました。
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200×〜200× |
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九州での暮らしと、親の事を考えて会社を設立して福岡に居を移す。
会社設立に際して、樋口社長には大変お世話になります。
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当初を栄蔵のカレーパンを販売するショップを出店。採算が合わず、催事販売も同時並行に実施するも、ショップは1年で閉店。
東畑社長お世話になりました。
催事をしている際に、長崎五島列島の催事業者の方に、故郷に恩返しできるような商売をする事を諭され、共鳴を受けて模索を続けていました。
トロナジャパン及び樋口社長のご支援を頂き甘木市に宅配ピザショップを開店。当初の見込みと7掛け程度の売上で苦しんでおりますが、今までの自分の努力不足を反省でき、次へのステップと思い、良い試練として楽しんでいます。
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九州に帰り、さらに大分に隣接する甘木市で働く事で、月に何回も帰郷して田舎の良さ、故郷の大切さがしみじみ判るようになってきました。
故郷の兄嫁が働く田舎の道の駅が好評であるのにヒントを得て、ネット利用して安心院の特産品の紹介、こだわりあじむの紹介開始。
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| 2005〜2006 |
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兄嫁と嫁の父の紹介で、川村夫妻と出会い、安心院農園のぶどうをネットで販売を開始しました。
初年度に大口注文者の不払いで40万円の債務を発生して、大赤字に。
意気消沈の初年度を終了。
2006年は消極的な状態に。
2007年、ネット販売を辞めようとした私に、川村夫妻より温かい激励を頂き、再度ネットビジネスを開始。
継続は力なり。目先の利益にとらわれず、この御縁を大切にしていきましょうって。
御縁を大切に。
そんな折に、中村文昭の半生のCDに出会い。
感銘を受けて、傾倒したおしました。 |
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| 2006〜2007 |
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中村文昭との出会い
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中村文昭の考え方(田端さん)に傾聴 |
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http://ryo-ma.net/event/ |
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てんつくマンに生き方に賛同。 |
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http://www.tentsuku.com/home.shtml |
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サエコの渡辺さんとの再会。
新しいビジネスチャンスを頂いて感謝しております。
今後も、微力でも最大限の御返しを致します。
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今の、座右の銘
与えた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む。
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